飛行機 エピソード 1    byおかずの父

☆エピソード1(初搭乗)               

 95年7月。2歳の内なら航空料金が無料だということで、家族+「おかず」の祖父母で沖縄へ行くことになった。
 前々から「おかず」は飛行機に乗りたいと言っていたし、名古屋空港にも度々出掛けて実際の飛行機を見る機会があったので、いよいよ本当に乗ると言ったら喜ぶだろうと親は勝手に思っていた。

 ところが、当日飛行機に乗り込む段になったら急に「今日は見るだけ」と「おかず」が言い出した。でも、今更やめるわけにもいかず、なんとかなだめて乗せれば大丈夫だろうと思い搭乗した。
 離陸してしばらくしてから「おかず」の行動が落ち着かず、1時間程した四国上空あたりでとうとう「もうよし、おりる!おりる!」と泣き出してしまった。次第に大声で泣くようになり、機内に響く息子の泣き声。困ってもどうにもならず、抱きかかえて通路を行ったり来たり。
 やっと、少し泣きやんだ頃、CA(キャビンアテンダント)がおもちゃを持ってきてくれた。飛行機のブロックを組み立て、遊び始めたら、前のシートの小学生が一緒に遊んでくれて、それからは上機嫌でその小学生にあやしてもらいながら無事那覇空港到着。
 同じ機に乗り合わせた方々ごめんなさい。小学生のお兄ちゃんありがとう。

☆エピソード2(初めての海外旅行)      

 96年8月。息子も3歳過ぎたし、そろそろ海外へと思い、息子のパスポートを取った。
行き先はサイパン。飛行時間は3時間程度だし、親にとっては二度目なので勝手が分かっていてよいだろうという考えからだった。
 コンチネンタル航空に、事前にチャイルドミールも予約し、準備万端。大したトラブルもなく、(「おかず」は女の子に間違えられたらしく、チャイルドミールに貼ってあった紙に「Mr.」でなく「Miss.」と書いてあったことぐらいはあったが)無事サイパンに到着。

 帰りの飛行機、かなり揺れて周囲の人は気分不良者続出。しかし、そんなことには全くめげず、「おかず」は機内食をぱくぱく食べ、上機嫌だった。二度目でここまで慣れてしまうとは。恐るべし、幼児の順応力。

 名古屋空港に到着し、他の人の邪魔にならないように、最後に降りようと行くと、たまたまコックピットの扉が開き、キャプテンが出てきた。キャプテンは、息子にキャプテンの帽子をかぶせてくれて「Come in!Come in!」と言って操縦席に座らせてくれるようであった。
 しかし、英語が分からず、大柄な外国人のキャプテンに恐れをなした息子は大泣き
 せっかくのチャンスがフイになった。

☆エピソード3(焦って搭乗)             

 97年3月。二度目の海外旅行香港。
 行きは客室乗務員が、息子の面倒をよく見てくれて、機内でもらったノートに絵を描いてくれたり、おもちゃで遊んでくれたりで、中国語がよく分からなくても身振り手振りで通じるらしく楽しくすごした。また、キャセイは早々とエコノミー席にも液晶モニターが設置されていた。子供向けに「TOY STORY」が上映されていて、英語版で言葉は分からないながらも楽しんでいた。
 数年後になくなる啓徳空港への「香港カーブ」も、下のビルのネオンに手が届きそうなスリルを楽しんだ。

 問題は帰り。空港で出国手続きも終え、DUTY FREE の店をうろうろしながら広いターミナル内をさまよっていると、地上係員が何か大声で叫んでいる。よく聞くと、「CX to Nagoya」と言うのが分かった。
 あわてて、搭乗口へ行くとバスが待っていて、我々が乗車するとすぐに出発。我々が最後の客だった

 そのせいで出発が遅れたみたいで、帰りは終始トップスピードで飛んでいた気がする。
皆さんごめんなさい。

☆エピソード4(トイレが我慢できない)        

 97年8月。名古屋から石垣島へ直行便ができたのを機会に、石垣島へ行くことにした。
使用機はB737−500、通称スーパードルフィン(エンジンにイルカの絵が描いてある)。「おかず」のお気に入りで、行きは何のトラブルもなく、帰りもちょうど近づいていた台風の影響が出始める前に帰ることができ、まずまずの旅行だったと満足感に浸っていると、
 
最後にトラブルはやってきた。
 和歌山上空を過ぎてしばらく、機内アナウンスでシートベルトの着用と、名古屋空港へ向けての降下が始まり、もうすぐ到着だと思っていた。
 しかしその時、「おかず」が「お父さん、おしっこ!」と言い出してしまった。
 「空港まで我慢できる?」と聞くと
 「できない。もう、もれそうだよ。」と答える。

 仕方なくCAさんに、そのことを言うと、
 CA「ちょっと待ってください。」
 父「でも、もう漏れそうなんです。」
 CA「でも、とにかく少し待ってください。」と言われ、
 私(父)は内心(息子にチビレとでも言うとんか?)と思ったが、
 どするのだろう?と見ていると、CAさんはインターフォンでコックピットと連絡を取り、それから「どうぞ」と言ってくれた。

 結局、息子がトイレ使用中、飛行機は降下をやめていたみたいで、そのせいで到着時刻が数分遅れた
皆さんごめんなさい。
 

☆エピソード5(那覇空港全力疾走)       

 00年8月。沖縄へ。
今回も行きはまずまず順調。台風の影響で、那覇空港到着寸前、飛行機が木の葉のように揺れたことぐらいが、トラブルだと思っていた。いや、思いたかった。

 しかし、やっぱりタダでは済まなかった。それは帰り。
那覇の空港ターミナルで、荷物も預け、疲れた私は喫煙コーナーでのんびりと座り、妻と「おかず」は買い物に店巡りに行ってしまった。
 ここまでは、いつものことなのだが、しばらくしても戻ってこない。まあ、その内戻ってくるだろうと思いながらも時間は刻々と過ぎていく。
 更に、時間は過ぎていき、探そうか?と思うが、新しくなった那覇空港は以前より広くなって、とても探せるものじゃない。でも、…  出発時刻が…  ハラハラしながらも、確実に時間は過ぎていく…

 やっと、出発時刻の10分前になって、のんびりと妻と「おかず」が登場。
 「急がないと!」と言うと、妻は「国内線だから、手続きもないからと思っていたから…」

 その時、既にセキュリティチェックは長蛇の列。仕方なく、列に並んで、通り抜けた頃には
ターミナル内の放送で「全日空 ○○便にて、名古屋へご出発の△▲様。至急、お近くの地上係員までご連絡ください。」と、我が名を呼んでいるのがはっきり聞こえた。
 走るしかない。家族3人全力疾走
途中、雰囲気を察したGH(グランドホステス)さんが、「名古屋へご出発の△▲様ですか?」と声を懸けてくれたので、すぐに連絡はついたが、自分のせいで遅刻したのだからと思い、そのまま走り続けた。

 搭乗口は、新しくなった空港の一番端で、40歳近い私には酷なことだった。
 当然、飛行機には最後に乗ったのだが、しばらくは息づかいが荒々しいままだった。
皆さんごめんなさい。

 普段、バスや地下鉄には駆け込み乗車する時もあるけど、飛行機に走って乗ったのは生まれて初めてだった。