飛行機エピソード 2    byおかずの父

 エピソード1の最後(2000年夏)那覇空港での全力疾走後、
 ☆’02年夏 北海道天売島(名古屋⇔札幌)
 ☆’02年秋 中国地方(名古屋⇔米子)(「おかず」と妻のみで、NALのフォッカー50に乗るために出かけた)
 ☆’03年夏 東北(名古屋⇒花巻 青森⇒名古屋)
 を無事に乗り切り、’05年2月には今までの名古屋空港が県営になり、常滑沖に中部国際空港(セントレア)が開港した。
  05年のセントレア開港後には、
 ☆’05年夏 屋久島(名古屋⇔鹿児島⇔屋久島)
 ☆’05年夏 長崎(名古屋⇔長崎)(「おかず」のみ、中学の部合宿)
 も、難なく過ぎた  そして、セントレアにも慣れた’05年秋、再びトラブルが…

2005年

☆エピソード6(セントレア遅刻&PCフリーズ)
 早朝のセントレア

 ’05年2月に開港したセントレア(中部国際空港)にも慣れた、同年の秋、とある事情で仙台1泊2日の旅行に行くことになった。
 チケットはネットでの事前予約。座席も事前予約して、準備万端。
 僅かな心配は、出発が早朝7:40ということだけだった。

 もともと時間にルーズな私に、輪を掛けたようにルーズな妻、そして時間の観念が全くない我が息子「おかず」。
 この三人が集まれば、5分前行動どころか、10分後行動だって怪しいのが日常の生活。いかに旅行の日の朝だって例外ではない。
 だから、当日の朝は5:00に目覚ましを掛け、6:00には我が家を出発する予定だった。(我が家からセントレアまでは車で約1時間)

 当日(10月某日)
 目覚ましは予定通り、5:00に我々を起こしてくれるも、動作が緩慢な我が家族。「おかず」はボーっとして行動しないし、妻は鏡の前からなかなか離れないし、結局家を出たのは予定より大幅に遅れて、6:40過ぎだった。
 それでも、土曜日の朝だから空いているのを期待して車を発車させる。
 しかし、途中、なんとトラックと乗用車が事故をおこしていて渋滞(>_<) 結局セントレアへ通じる橋を通過したのが7:15過ぎ。出発ロビーに近い駐車場で先に妻と「おかず」を降ろし、駐車場に停めたのが7:23。
 私がANAのカウンターに着いたのは7:27だった。
 すでに、案内のモニターには仙台便の文字はなく、7:45発の札幌便も手続き終了の表示が出ていた。

 私より先に妻と「おかず」はカウンターに着いていたので、まあ大丈夫かと思いきや、なにやらトラブっている様子。どうも、ギリギリなのに手荷物を預けると言ったために、GH(グランドホステス)さんも慌てたみたいで、その焦りがPCにも影響したのか、PCがフリーズして、チケットが出てこないようだった
 数分後、なんとかシステムが復活し、チケットを受け取り、セキュリティチェックを通った時には7:45過ぎ

 ゲートが入り口から近く、今回は走る必要はなかったが、搭乗し席に着いたのは7:50だった
 ごめんなさいANA。(結局出発は15分遅れの7:55だった。)

 ※我々が遅刻で迷惑を掛けたと反省したが、なんとその日は、我々よりも後にもう一組遅刻搭乗者がいたのだった。我々  よりも強者がいるとは… 世の中は広い!?

2007年
☆エピソード7−1(突如のフライトキャンセル)

 久しぶりに海外旅行に行くことになり、セントレアから撤退したカンタス航空が出資して、激安運賃を売り物に新規に参入したJET☆航空に乗ることになった。目的地はオーストラリアのケアンズである。
 JET☆航空は、8/3から就航したばかりで、われわれが乗るはずだったのは、その6日後の8/9だった。
 
 ちょっと早めに行って、飛行機が見たいという息子「おかず」の要望を受けて、ツアー会社の指定した時間より30分ほど早くセントレアに到着。ちょっと、早いけど受け付けてくれるかな?と思い、ツアー会社のカウンターへ
 そこで聞かされたのはなんと!「今日のJET☆のフライトがキャンセルになったので、今から関西空港へ行っていただき、そこからとりあえずはブリスベン行きに乗り、そこで乗り換えてケアンズへ行っていただくことになりますので、よろしくお願いします。」
「ブリスベンからケアンズへの乗り換えについては、ここでは判りません。関空でご案内できるかもしれません。」
「つきましては、
各自で○○時の名鉄に乗り、名古屋駅に行き、そこで新幹線に乗り、新大阪で乗り換えて…」「もちろん、料金は航空会社が払いますが、現金で支払われるか後で振り込みになるか不明です。」

 およそ、こんな内容だった。出発間際になって、急な変更。しかも、セントレアから大坂の関空まで各自で勝手に行けという無責任さに、旅行自体をキャンセルしようかという気に半分以上なっていた
 しかし、妻と息子は未練がありそうで、いろいろ航空会社と交渉するうちに他の同様の人も含めて、チャーターしたバスで関空まで移動することになり、しぶしぶバスに乗った。
キャンセル表示バスの中

 バスに揺られること3時間(東名阪亀山、奈良天理経由)、関空に着いたが待っているはずの係員がいない。ブリスベン発は21:50と聞いていたのに、着いたのは21時過ぎだったから、おお急ぎであちこち聞いてJET☆のカウターへ行く。
 時間外なのか、JET☆の本来の職員はいなくて、コードシェアになっているJALの地上係員が応対していた。
 でも、その人たちがいたってのんびりで、こちらがイライラしてしまうくらいだった。
 とある家族連れは、日程が変わったことにより明日の予定が変わるので、キャンセル料がいくら戻ってくるのか携帯で話しながら、場合によっては旅行そのものをキャンセルしかねない剣幕で長々とカウンターを占領しているので、なかなか後の人の手続きが始まらない。
 でも、皆この家族と同様の怒りを感じていたので、刺すような視線を地上係員に向けながら仕方なく待っていた。
 30分ほどして、やっと我々の順番が
 一応そこでケアンズまでのチケットももらえたので一安心だったが、家族3人の席がバラバラに…(具体的には、35K、53B、55B)。文句言っても仕方ないので、そのまま出国審査、セキュリティチェックを受けて出発ゲートに近い待合室へ。

 でも、この仕打ち(座席がバラバラ)に納得できない人は「小さい子どももいるし、安全上問題があるので、これでは納得できない。とにかく希望通りに替えて欲しい。」とクレームを付けていた。
 JET☆は、プラス料金で窓側の席が確保できる制度があり、このクレーム付けていた家族はそれも払っていたためにどうにも納得できなかったらしい。

 どうなることかと待合室で待っていると、そのうちアナウンスで何人か既にチェックインした乗客を何人か呼び始めた。
 要するに、座席を替わってくれそうな客を呼び出して、交渉をしていたらしい。

 そんな、アナウンスが何回も行われるだけで、出発の案内はなく、予定の21:50は過ぎ、23時近くになっても変化無かった。
 
 かなり遅くなり、いつも23:30頃には薬を飲んで寝る習慣の私は、はやく夕食取って寝たいのだが、何の進展もない。しかたなく、空いている待合い席の椅子に寝ころんでうとうとしていた。
JET☆のカウンター関空の待合室

 そして、今度は「今日のフライトを明日に延長できる、お客様を3名募集しております。」
というアナウンスが…どうもこのゴタゴタでチケット3人分余分に売ってしまったらしい。
 混乱の中なので同情はするが、アホさ加減に皆の失笑を買っていた。

 それの申し出があったのか、ようやく23:30過ぎに機内へ乗り込むように案内があり、35Kに座った私の隣はいかにもオーストラリア人という感じの大柄な白人のおじさんだった。
 離陸したのは、日付の変わった0時過ぎ。機内食のサービスは2時過ぎだった。夕食を午前2時に食べたのは四十数年の人生で初だった。

深夜に離陸 一夜明けてやっとオーストラリア上空

 後は、順調と思いきや、ブリスベンからケアンズへの乗り継ぎ便の出発時間は現地時間の9:00。ところが、我々の乗った飛行機は出発がひどく遅れたせいで、到着予定現地時間の9:30だという。
 機内で、アテンダントにチケットを見せてそのことを訪ねると、待っていてはくれないから、ケアンズへは次の便になるが、ここでは次の便の時間は判らないという回答だった。
 いったい、いつになったらケアンズに着くのだろうか?
 本来なら8/10現地時間4:10に着くはずが、既に9:00を過ぎている…

☆エピソード7−2(オーストラリア国内線ののんびりさ)
 ブリスベンに着くと、さすがJTB、日本人のスタッフが待っていて、すぐにケアンズへの国内線の乗り換えの手続きを一緒にやってくれた。
 ブリスベンは、国際線から国内線へ電車で移動するのだが、問題なく移動し、11:20発のケアンズ行きに無事乗り込んだ。

ブリスベンの空港国内線には電車で移動する
 しかし、時間を過ぎても一向に出発しない。地上の整備員が前方に乗ったまま、ドアは閉まらないし、おまけに機長はコックピットから出て、どこかへ行ってしまう始末。
 30分程して、同じブリスベン便に乗ってきた人々が10人程度乗ってきた。大手の旅行会社以外でのツアーの人が、乗り換えに時間がかかって、それを待っていたようである。
 
 やっと、飛ぶのかと思いきや、まだ飛ばないし、機長も戻ってこない???

 そのうち、最前列の乗客2〜3人にアテンダントが話しかけ、その乗客は荷物を持って降りていってしまった。そして、別の乗客が乗り込んできた。
 既に、座っている乗客に交渉して、別の乗客と交代してもらったらしい。

 そんなこんながあって、やっと離陸したのは定刻より1時間以上過ぎた頃だった。
 それで、ケアンズに着いたのは14:30、ホテルには15:00頃に着いた。

 本来であれば4時頃着くはずが、実際は15:00!
 失った11時間に対する保証は何もなく、豪$100のバウチャー券を航空会社からもらったが、次回の利用時に値引きしてくれるという券だった。
 
 もらった人は皆「二度とこんな航空会社乗るかよ!」と怒り心頭で余計に怒りを買っていた。せめて、現金で払われたなら違っていただろうに…

 結局ケアンズでも、失った時間に対する補償は何もなく、キャンセルになった半日観光の代金が現地通貨で払い戻されたくらいであった。
 
 格安航空券は暇のある学生等にはいいのだろうけれど、時間をお金で買っているような我々サラリーマンにとっては考え物である。

 ある意味、良い思い出というか、生涯忘れない記憶になったが、次回からは、事故率だけでなく、フライトキャンセルの頻度も参考に航空会社を選ばなければと強く思った経験であった。