城のページ@
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| 姫路城 白鷺城で有名な城。国宝であり、世界遺産でもある。 三つの小天守と大天守からなる連立式であり、各所に石落とし等の防衛施設があったり、門の入り口が入り組んでいたり、と難攻不落の城になっている。しかし、これらが実戦に使われたことはなく、修復をしながら、徳川家康の娘婿池田輝政が1601年に本格的に築城した当時の姿を伝えている。 規模と言い、その美しさと言い、さすが国宝&世界遺産という感じがする。(’04年3月) 目次へ |
二条城 京都にあり、徳川将軍の宿館・儀典場としての性格が強い。幕末、15代将軍の慶喜が大政奉還を諸大名に伝達した部屋も残されている。 朝廷との友好関係を示すために、徳川家の城ながら天皇家の家紋である「菊の紋」が随所に付けられている。 天守閣は、残念ながら落雷によって焼失。明治になって二条離宮となり、後に京都市の所有になったので「元離宮二条城」という。 (’05年8月) 目次へ |
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| 犬山城 愛知県犬山市の木曽川沿いに立つ城。白帝城とも呼ばれる。 現存する日本最古の城として、国宝に指定されている。平成16年までは、日本で唯一個人所有の城であったが、現在は犬山市の所有になっている。 最上階からの展望は素晴らしいが、手摺りが低く(「もたれると危険」の警告有り)、床が外側に向かって傾斜しているためかなり怖い。 一番右の写真は、木曽川を展望したもの。 (’05年2月) 目次へ |
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| 松本城 長野県松本市にある国宝。周囲には水堀があるが、水深は浅い。 色彩は黒っぽく、スリムな感じで質素でありながら、堅牢な感じがする。内部の資料展示には鉄砲関係が多い。 東に美ヶ原、西には北アルプスがそびえ、それらを背景にして城の美しさが引き立てられる。 (’05年3月) 目次へ |
彦根城 滋賀県彦根市にある。国宝4城のうちの一つ。徳川幕府の重臣であった、井伊家が関ヶ原の合戦以降に築城し、代々井伊家が受け継いできた。幕末、藩主であった直弼が、江戸城桜田門で暗殺された事件は余りにも有名。 05/4に訪れた時は、ちょうど桜が満開で、すばらしい景観であった。天守閣は三層で派手さはなく、簡素な中に洗練された機能美が感じられる。 世界遺産候補であるが、登録されれば、姫路城、二条城、首里城に続いて日本で四番目の世界遺産の城になる。 (’05年4月) 目次へ |
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| 名古屋城 金鯱で有名であり、名古屋のシンボルだが、昭和20年に戦災で焼失した。現在のものは、昭和34年に再建されたもの。 鉄筋コンクリート造り、エレベーター付きで、城というより、城型のビルディングと言った方が良い。 (’04年10月) 目次へ |
岐阜城 17世紀、徳川家康によって取り壊され廃城となった。 その後、昭和31年に市民の寄付により再建された。コンクリート造りの、城型資料館。 金華山の頂上にあり、ロープウエーで行ける。頂上にはリス村もある。 (’05年2月) 目次へ |
岡崎城 徳川家康の生まれた城だが、明治時代に取り壊され、昭和34年に再建された。 名古屋城、岐阜城と同様コンクリート造りの城型資料館。 (’05年3月) 目次へ |
伏見城 桃山時代、京都伏見に豊臣秀吉が築城したが、1600年の関ヶ原の合戦の際に焼失。その後徳川家康が再建するものの、江戸時代に廃城。 現在のものは昭和39年に再建されたもので、キャッスルランドという遊園地も併設されていたらしいが、2003年に倒産。 2005年現在は立ち入ることができず、京都府が運動公園として再利用するらしい。 (’05年3月) 目次へ |
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| 長浜城 滋賀県長浜市にある。豊臣秀吉によって築城され、秀吉の出世の足がかりになった城であるが、徳川の世になって、取り壊された。 天守閣の石積みも、解体され、彦根城築城に使われたと言われている。 天守閣は昭和58年に再建され、内部には、エレベーターもある。石積みも再建で、当時の石が2〜3個天守閣の前庭に置いてあるだけである。 展示資料は、秀吉に関係ない琵琶湖湖底遺跡のものや、長浜市の紹介などもある。 (’05年4月) 目次へ |
清洲城 愛知県西春日井郡清洲町にある。室町時代に築かれた城であるが、江戸時代、名古屋城築城に際して築城の材料にされたため、現在は五条川の川岸に石積みの後があるだけである。 現在の建物は、平成元年に再建された、コンクリート造りの資料館である。 1500年代半ば、織田信長が那古野城から入城、桶狭間で今川勢と戦った時、この清洲城から出陣し大勝した。その時の出陣の様子が人形で展示されていた。 天守閣の展望台からは、濃尾平野が一望でき、名古屋駅のツインタワー、栄のテレビ塔、名古屋城、東山のタワーなどが見える。 五条川に架かる赤い欄干の橋を渡った向こうに天守閣型博物館はあるが、映画「千と千尋の神隠し」に出てくるお湯屋を思わせる風景だった。(’05年4月) 目次へ |
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| 吉田城 愛知県豊橋市の市役所を中心とした運動公園の中にあり、豊川の岸にある。 天守閣はなく、鉄櫓が再建されている。鉄櫓の入場は無料だが、月1回(第三日曜日)のみ公開されていて、他の日は入れない。(’06年1月) 目次へ |
浜松城 静岡県浜松市にある、徳川家康の出世城として有名である。 天守閣はコンクリート造りの再建だが、石積みは野面積(のづらづみ)の布積み(横方向の石の列がほぼ並ぶ)という特殊な積み方で、創建当時を伺わせる貴重な資料である。(’06年1月) 目次へ |
小山城 静岡県榛原郡吉田町にある鉄筋コンクリートの城型資料館。 古城を復元したものでもなさそうである。敷地内に武田家当時の三日月堀の堀の一部がある。 (’06年1月) 目次へ |
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| 掛川城 静岡県掛川市にある木造で再建された城。大手門は町の中にあり、天守閣はそこからしばらく歩いた山の上にある。 ’06年NHK大河ドラマ「功名が辻」の山内一豊が創建した城であり、あちこちにNHK大河ドラマとの関連の宣伝文句が溢れていた。(’06年1月) 目次へ |
城は木造で再建されているので、創建の往時を偲ぶことができる。 | 重要文化財の御殿。天守閣のある山の東にある。 雰囲気は、京都の二条城の二ノ丸御殿を質素にした感じである。 内部は立入禁止区域もなく、ほとんどすべての部屋を見学できる。 |
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| 白石城 宮城県仙台市の南、福島県境にある白石市の城。伊達家の家臣片倉家の城である。片倉家は、開拓費用に充てるため白石城の売却を申請し、民間に払い下げ処分となり以後随時解体された。 平成7年に木造で再建され、今年で10年になる。木造なので、新しく文化財的価値は低いが、建設された当時をうかがい知ることができる。(’05年10月) 目次へ |
白石市にある当信寺。 白石城の東口門をここに移築してある。 |
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| 駿府城 静岡県静岡市にある駿府城。敷地のほとんどは公園になっている。 江戸幕府の創始者、徳川家康が隠居後の住まいとして創建した城。残念ながら建物等は残ってなく、東南隅櫓が資料館として鉄筋コンクリートで復元されているのみである。他には、堀跡が発掘されて残っている。 東南隅櫓の資料は新しいものが多く、歴史的価値は低いが、音声案内機器が入場者に漏れなく貸し出されるので、親切でもあり便利でもある。(’06年1月) 目次へ |
駿府公園内にある、家康お手植えの「ミカン」の木。ここから、分けられたミカンの木は、浜松城にもあった。 実は小さく、現在の品種に比べると美味しくないのか?一度食べてみたい気がする。 |
東南隅櫓資料館内にある、駿府城天守閣の想像復元模型。 築城から約25年で焼失してしまったので、残存する資料もほとんどないらしいが、五層七階の堂々たる天守が、富士をバックにそびえていた往時を偲ぶことはできる。 |
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| 大和郡山城址 ↑天守台 奈良県大和郡山にある郡山城址。 織田信長の名を受け、筒井順慶が築城し、その後豊臣秀吉が改築した。堀が深く、広大な敷地に往時を偲ぶことができるが、天守閣はなく、石積みの天守台があるだけである。 その他に、追手門、東隅櫓、多聞櫓等は復元されている。(’05年5月) 目次へ |
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| 仙台城址 宮城県仙台市にある伊達家の城。青葉山にあるので、青葉山城とも呼ばれる。 残念ながら、昭和20年の仙台空襲でほとんどが焼失し、石積みと再建された隅櫓があるのみ。広大な敷地には他に、護国神社や仙台市博物館、東北大学などになっている。(’05年10月) 目次へ |
伊達家の菩提寺「瑞鳳殿」。 ここも戦災に遭い、再建されたが、それだけに色鮮やかで美しい。 資料館には、伊達政宗の遺骨や遺髪、復元された頭蓋骨等がある。 |
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| 大野城 常滑市の小高い山(海抜49.60Mの石版あり)に立っていて、眺望は抜群で、伊勢湾が一望に望めセントレア(中部国際空港)も見られる。 説明版には、大野佐治以降四代の城が室町時代にここにあったらしいという説明があるが、この建物が再建ではないことが明言されているので、城型の展望台という感じ。 城山公園として、駐車場やトイレ、遊具などが整備されている。空堀程度しか遺構はないが、山一帯が昭和四十三年に常滑市文化財に指定されている。(’06年1月) 目次へ |
大草城 常滑市の大野城から見える距離にある。また、この大草城から大野城を見ることができる。 地図には、大草公園とあるが、田園に囲まれた中に低い丘があり、その丘が森になっていて、その中にある。 駐車場から森の中の歩道を行くのだが、堀跡なのか浅い沼がある。天守閣様の建物まで5分ほどだが、西側からは道路からすぐに入れる。周囲はグランドや遊具のある公園になっている。 大野城と同様に単なる展望台だが、もとは何時の時代の、誰の城なのか、という説明がない。 (’06年1月) 目次へ |
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| 岩崎城 愛知県日進市にある岩崎城。 築城時の遺構は、空堀程度しかないが、コンクリート造りの模擬天守(内部は資料館)及び、隣接する資料館は立派に造られている。 駐車場、天守閣及び資料館の入場料ともに無料。(’06年1月) 目次へ |
大垣城 1600年の関ヶ原の戦いの時、西軍の石田三成以下の有力武将が集い、合議をした城。三成は合戦当日の9月15日には、部下の反対を押し切り城を開け、関ヶ原まで退却していた。 昭和初期まで国宝であったが、昭和20年7月の空襲で焼けてしまった。(’06年2月) 目次へ |
墨俣城 太閤秀吉が信長の家来の時代に、短期間で築いたことで有名な「墨俣の一夜城」。実際には、城というより砦だったらしい。現在では、模擬天守が資料館として造られている。(’06年2月) 目次へ |
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| 鳴海城址 名古屋市緑区にある、鳴海城址。 現在は公園になっており、城の遺物は何もない。 かつて、ここに城があったことを説明する立て札だけがある。 (’04年9月) 目次へ |
鳴海城趾の石碑。城址公園から西へ数百m行ったところにある、成海神社の境内にある。他に、名古屋市教育委員会が立てた説明の看板がある。 (’07年1月) |
沓掛城址 愛知県豊明市にある沓掛城址。案内図等が立っており、公園になっているが、ほとんど訪れる人はいない。 有名な桶狭間の戦いの前に、今川義元が逗留したことが伝えられている。 城の遺物は何もなく、堀と盛り土があるのみ。 (’04年9月) 目次へ |
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| 宇利城址 愛知県新城市中宇利 文明年間(1469〜87)に熊谷重実により創建されたものらしい。 入り口に表示があるので、たどり着けるが、周囲は何もない田園。その田んぼからちょっとした山に入る道があり、城址へと続いている。 入り口の案内板には、徒歩10分と書いてあるが、ちょっとした山歩きになるので、もう少しかかりそうである。(’05年8月) 目次へ |
宇利城址の本丸跡。 山の頂上付近に開けた場所があり、そこが本丸跡らしい。特に遺構はなく、石碑と看板があるのみ。 |
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| 久能山城址 家康を祀ることで有名な、静岡県静岡市の久能山東照宮。 海岸線からすぐに急峻な山がそびえ立ち、石垣イチゴでも有名な場所。 天然の要害として、かつてはここに武田家の城があったので、ここに加えた。現在では、城の遺構はなく、案内板に記述があるだけである。(’06年1月) 目次へ |
牧村城址 岐阜県安八郡安八町にある牧村城址。山内一豊の父が城主だった岩倉城が落城後、一豊が身を寄せていた城だが、現在はお寺になっていて、城の面影は何もない。(’06年2月) 目次へ |
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