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伊賀上野城
 忍者の里、三重県伊賀上野市にある。藤堂氏の創建によるが、天守閣は竣工直前(1612年)に暴風雨で倒壊し、三百数十年間再建されなかったが、昭和10年に木造で再建されて今に至る。木造とはいえ、再建なので内部は不思議な造りである。
 敷地内には、忍者資料博物館もある。(’06年3月)
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高さ30mの高石垣に囲まれる伊賀上野城。
日本の城郭の中で、二番目の高さを誇る。(一番高い石積みは秀吉が建てた大阪城)。
下から見ても高さに圧倒されるが、上から覗くと、手すりや柵もなく、高所恐怖症じゃなくても恐怖の体験ができる。
桑名城
 三重県桑名市にある。木曽三川の河口部、揖斐川の岸辺にある。
 江戸時代になってからは、徳川四天王の一人であった本多忠勝が整備し、揖斐川河口の地理的条件を上手く利用した広大な城を造った。
現在は建物はなく、蟠龍櫓が展望台としてコンクリートで造られているだけである。一帯は九華公園として昭和初期に整備されて今に至る。
 名古屋の熱田からの到着地点となる「七里の渡し」があり、伊勢神宮第一の鳥居もある。(’06年3月)
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天守台が残っているが、当時のものではないらしい。槍の穂先のオブジェが立っている。
郡上八幡城 
 岐阜県郡上市にある山城。山内一豊の妻千代の出身地は諸説あるが、この郡上八幡出身説もそのうちの一つ。それに基づいて、「一豊と千代」の像が作られていた。その像の遠景に天守閣が見える。
 16世紀に築城されて以来、明治まで19代の城主がいたが、東京の「青山」の地名の由来にもなった青山氏が13代〜19代まで治めた。(’06年3月)
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天守閣は昭和8年に木造で造られたもので、木造の再建としては日本最古。大垣城の天守をモデルに造られたらしい。
通常の木造天守は土足厳禁だが、ここは土足のまま上がるようになっている。
町から百数十メートル、海抜約三百メートルの山の頂上にあるので、眺めは良い。
吉田川とその向こうに東海北陸自動車道が見える。
田丸城跡
三重県玉城町にある。起源は、南北朝時代にまで遡るらしい。
現在は、石積みだけがあり、建物は全くない。訪れた時は3月の下旬だったが、桜の開花には少し早く、人はいなかったが、桜の祭りの準備がされていて、ライトアップもされていた。(’06年3月)
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山の上にあるので、眺めは抜群。
夕方だったので、写真はちょっと不鮮明だが…

いつも南伊勢町へ釣りに行く時は通り過ぎるだけで知らなかったが、こんな素晴らしい所があるなんて知らなかった。
岩村城跡
岐阜県恵那市岩村町にある山城。起源は平安末まで遡るが、戦国時代武田と織田が争った当時、城主が女であったことから、女城主の城として有名。日本三大山城の一つで、標高721mにある岩村城は日本で一番高い所にある。
建物は、太鼓櫓と藩校の建物が再建されているだけで、広大な山には石積みと井戸だけが残されている。(’06年4月)
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ふもとの駐車場から、本丸跡まで700m〜800mだが、山道の途中には消え残った雪がちらほら。
明智城跡
岐阜県恵那市明智町にある。明智町といえば、日本大正村で有名だが、その裏山にあたる場所にある。
城の遺構はほとんど何もなく、随所に説明の立て札があるのみだが、「明智城跡」の柱は倒れたままで、あまり人は訪れないようである。(’06年4月)
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石垣跡があるが、数個の巨石が置かれてあるだけといった感じ。 明智光秀が、幼少時に、京都から僧を招いて学問をしたとされる学問所跡。
現在は、道真公を祀る神社の一部として残され整備されている。
龍岡城跡
長野県佐久市田口にある城跡。日本では、函館とここの二箇所しかない五稜郭の城跡である。
幕末に建てられたが、現在は建物はなく、堀の一部が残っているだけである。城の敷地は小学校になっている。
訪れたのは5月の初めだっが、桜が少し散り始めた頃だった。(’06年5月)
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高島城
長野県諏訪市にある。外見は木造風だが、内部は鉄筋コンクリート造りである。再建された天守閣以外には門と堀の一部がある。
往時は、この城から諏訪湖へ船が出せたそうだが、今は湖面までかなり距離がある。
天守閣からは、諏訪湖が望める。(’06年5月)
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松坂城跡
松阪牛で有名な三重県松阪市にある。建物は残っていないが、立派な石積みが残っている。
j城内には、江戸時代の松阪出身の国学者「本居宣長」の資料館もある。

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石積みはかなりの高さがあるが、柵等はなく、「きけん 転落注意」の立て札しかない。従って、上から覗いてみると非常に恐怖である。
三重県の城跡は、伊賀上野城を始めとして高い石積みが残っているが、転落防止の柵がほとんどないので注意を要する。
津城跡
三重県の県庁所在地津市の中心部にある。建物は、戦後に再建された三層櫓があるのみで、天守閣はない。ただ、この三層櫓は本来のものとは無関係な、全くの模擬櫓である。
関ヶ原以後の城主となった藤堂高虎の騎馬像が公園内にある。

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亀山城跡
ローソクで有名な、三重県亀山市にある。天守閣は、間違って解体され(江戸初期に、丹波亀山城の修築を命ぜられた堀尾忠晴が、間違えて伊勢亀山城を取り壊してしまった。)多聞櫓が残っているだけである。ただ、この多聞櫓は、学校や公民館として利用されていたので、窓にはアルミサッシがはめてあるし、入り口にはドアが取り付けられている。

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長島城跡
三重県桑名市にある。ちょうど木曽川と長良川に挟まれた場所にある。
そもそもは15世紀に築城されたらしいが、明治に焼失したり、払い下げ取り壊しされたりして、現在は、長島中学校に案内板が残り、寺に移築された大手門が残るだけである。
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長篠城跡
愛知県新城市のちょっと山に入ったあたりにある。1500年代半ば、武田軍の騎馬隊を、織田軍が馬防柵と鉄砲隊で撃破した長篠の戦いが有名であり、その戦いの初期に武田軍に包囲され、援軍を求めたのがこの長篠城である。現在は、資料館以外に建物はない。(’06年8月)
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