城のページB
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| 松前城 愛媛県松山市近郊にある。 「まさきじょう」と読む。道路添いにあるが、城の遺構はなく、石碑と解説文の立て札があるだけである。 (’06年8月) 目次へ |
湯築城 愛媛県松山市道後温泉からほど近い場所にある。全体が公園になっており、城の面影は堀程度しかない。資料館として武家屋敷が作られている。(’06年8月) 目次へ |
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| 松山城 四国の最大都市愛媛県松山市の中心部にあり、全国に8城ある重要文化財の城の内の一つ。小高い山全体が城になっており、広大な敷地に多くの石垣と建物(櫓、門等々)がある。ロープウェイも整備されているが、歩いてもそれほど大変ではない。 残念ながら、天守閣は外壁工事のため概観を眺めることはできなかった。(内部へは入場可能)(’06年8月) 目次へ |
江戸時代初期に、徳川家康の異父兄弟の松平家の領地となったため徳川葵の紋がある。 また、15万石にしては城郭が立派なのもそのせいである。 |
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| 大洲城 愛媛県大洲市にあり、肱川に臨む小高い丘に建っている。天守に隣接する櫓は古く、文化財としての価値がある。天守閣は最近、木造で再建された。(’06年8月) 目次へ |
手前の櫓は古く文化財であるが、奥の天守閣は再建されて間もないので、床材等も新しい。 | ||||
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| 宇和島城 愛媛県宇和島市にある。全国に8城ある重要文化財の城の内の一つ。最初は関ヶ原の合戦の頃に藤堂高虎によって築城されたが、1660年代に改修された。平和な時代に改修されたので、戦いのための装備(鉄砲狭間、石落とし等)はなく、見た目に美しくなるように作られている。(’06年8月) 目次へ |
宿泊したホテルの窓からの眺め。山の頂上にあるので、宇和島市の象徴として市内のどこからも見ることができる。 | 天守閣からは、宇和海が展望できる。 | |||
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| 今治城 松山城築城のために資材を供出し、長い間天守閣はなかったが、昭和55年にコンクリートで再建された。五層六階の天守閣は高くそびえ、遠くしまなみ海道が遠望できる。城を巡る堀は、今治港とつながっており、ボラやチヌが棲んでいるらしい。訪れた日は、晴天の日中だったが、ボラと思しき魚があちこちで跳ねていた。(’06年8月) 目次へ |
内部は資料室になっている他、櫓が地元芸術家の展示館と骨董館になっている。 | ||||
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| 川之江城 愛媛県四国中央市川之江町にある。南北朝の動乱の頃に端を発するが、江戸時代になる前に廃城となってしまい、建材は松山城の一部として使われた。以後は幕府領となり、城はなかったが昭和59年に川之江市制30周年を記念して城山公園が整備され始め、昭和61年にコンクリート造りの天守閣が完成した。この城からも瀬戸内海を望むことができる。(’06年8月) 目次へ |
城の手前に広い駐車場はあるが、途中は狭い道で一方通行にもなっていないので、運転には注意を要する。 | ||||
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| 丸亀城 香川県丸亀市にあり、標高66mの亀山に築かれた平山城である。全国に8城ある重要文化財の内の一つ。堅牢な石積みの上にそびえるが、天守閣そのものは簡素でこぢんまりとしている。(’06年8月) 目次へ |
四国の城のほとんどがそうであるように、この城からも瀬戸内海が遠望できる。 | ||||
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| 鷲津砦跡 名古屋市緑区大高町にある。右の丸根砦と共に、戦国時代、織田信長によって作られた。 目的は、今川義元によって攻撃された大高城に対抗するため、大高城の北東約700mの小高い丘に作られた。 現在は、住宅地の中に残る森になっていて、案内と石碑しかないが、一応幹線道路沿いに入り口があるので、鷲津砦跡公園の表示がある。ただ、誰も訪れる雰囲気はなく、寂れていた。(’06年10月) 目次へ |
丸根砦跡 左の鷲津砦の南に位置している。幹線道路からはかなり奥まっているので、車で行くのは、駐車場を見つけることも含めて面倒である。信長の当時を偲ぶものは何もなく、教育委員会の案内板と石碑があるだけである。(’06年10月) 目次へ |
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| 大高城跡 名古屋市緑区大高町にある。上記、鷲津砦跡、丸根砦跡がJR大高駅の北部にあるのに対して、この城跡は南部にある。ただ、ここも狭い道が多く、車で行くのには苦労した。 城としての遺構は何もなく、案内板と石碑が残るのみである。公園として整備されているが、全体として寂れた雰囲気は否めない。(’06年10月) 目次へ |
住宅地の中の小高い山になっているが、建物跡が広場になっていて、広いスペースがあちこちにある。 | ||||
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| 善照寺砦跡 名古屋市緑区鳴海町にある。もともと織田信長が今川方の鳴海城を囲むために作った砦のうちの一つ。小高い丘になっており、公園として整備されている。 鳴海城趾は、この砦の西に位置しているが、この砦がちょうど城を監視できる位置にあり、往時を偲ぶことができる。(’06年10月) 目次へ |
中島砦跡 左記の善照寺砦と同様の目的で作られた砦。名鉄鳴海駅前の、川に挟まれた中州にある。現在は民家の敷地になっているが、「ご自由に見学してください」という親切な看板も出ている。(’06年10月)(写真は’07年1月) ただ、道路が狭いので車で行くと苦労する。 目次へ |
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| 西尾城跡 愛知県西尾市にある。始まりは鎌倉時代の足利氏の築城らしい。江戸時代には、松平、本多、井伊等の譜代大名が城主であった。 一帯は歴史公園として整備され、本丸丑寅櫓のみが平成8年に木造で再建された。(’06年10月) 目次へ |
小牧山城 もともとは織田信長が築城した。戦国時代、豊臣秀吉と徳川家康がにらみ合った小牧長久手の戦いで、徳川家康が陣を引いた城だが、その後廃城となった。現在の建物は、昭和40年代に個人が京都の飛雲閣を模して建設し、後に小牧市に寄贈されたものであり、内部は歴史資料館になっている。 県営名古屋空港への進入路の真下にあり、なおかつ平野の中にそびえ立つ山なので、建物の横には航空標識が建っている。(’06年11月) 目次へ |
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