釣り履歴

            

 小学校の頃、名古屋の中川区に住んでいた私は、近くの池でフナやモロコ、ザリガニなどを釣っていました。中学生の頃はすぐ近くの庄内川でボラやマルタ(ウグイの降海型?)を釣ったり、友人と自転車で日光川の河口まで出掛け、ハゼやボラ、セイゴなどを釣っていました。

 その後は、ほとんど釣りに行くこともなく、高校、大学、就職、結婚、長男誕生と時は流れてしまいました。
その間、釣りを全くしなかったわけではありませんが、旅行先で釣り人を眺めていたり、短時間の釣りのまねごとをしたくらいです。
 グアムでの完全ボーズのトローリング体験や、モルディブでドーニ(現地の船)で移動中に、手釣りで釣らせてもらったスマ(カツオの仲間)1匹なんてのもありましたが…

1 紀州釣りとの出会い

 本格的な釣りとの出会いは、95年の秋でした。
 92年に生まれた長男も少し大きくなり、車に乗せて遊びに行ける程度になったので、日曜日に海を見にドライブに出掛けました。

 知多半島豊浜の魚広場に寄ったついでに、横の突堤で釣っている人々の様子を見に行きました。
 皆、大きな団子を握って、ドボン、ドボンとやりながら釣っていました。その釣り方の多少の知識はありましたが、それまで餌を付けて投げ込むだけの釣りしかやったことのない私には不思議な釣り方に見えました。
 見ていると、時々、大きなボラを掛けて、周囲の人々の視線と歓声を受けながらタモ入れして釣る人が見られました。「へ〜?、こんな大きなボラが釣れるんだ!」と感心しながらも、「ボラなら昔、庄内川で釣ったぞ」とそれほど羨ましくもなく見ていました。

 そうしている内に、皆の釣っている場所の少し空いた所に、「○○釣り研究会 ○○太郎」といった刺繍の入った、いかにも名人らしき風貌の人がやってきて陣取り、他の人と同様の団子釣りを始めました。

 その名人らしき人は数投目に、するどくアワセを入れたかと思うと、何か手応えありそうに寄せてきます。水面に魚が見えた時は驚きました。魚はクロダイでした。大きさは30cmに満たないサイズでしたが、
 「ええ〜!!、ここでクロダイが釣れるんだ〜!!」
と、本当に驚いてしまいました。

 それまで、堤防からは大きな魚は釣れないものだと思っていました。ましてや、クロダイなどはよほど場所がいいか、特殊な釣り方(その頃は、前打ち、落とし込みという言葉さえ知らなかった)でないと釣れないと思っていました。
 そういう固定観念があった私には、この時の事は衝撃的でした。

2 紀州釣り実釣、そして初釣果まで

 実際にその釣り(紀州釣り)をやりたいとは思いつつも、教えてくれる人もなく、95年はそのまま冬になってしまいました。
 本格的に始動したのは、翌96年の春でした。
 当時、インターネットを接続(電話回線28.8kbps)し始めたので、とにかくネットで情報を調べまくりました。
 
 関東地方でこの釣りをやっている人のHP(04年現在はもう無い)を見つけ、団子の作り方、仕掛けの基本等々を、そのページから学びました。

 後は実践ですが、最初の2回は惨憺たる結果でした。
 1回目(96年6月)
  豊浜へ行きましたが、団子が硬すぎたり、空中分解したり、全くのボーズ。自分には、この釣りは無理なのかも?とさえ思ってしまいました。

 2回目(96年9月上旬
  気を取り直して、同じく豊浜へ行きました。周囲の人が皆ウキは付けずに釣っていて(昨年見た名人らしき人もミャク釣りだった)、ウキ釣りでは食わないのかも?という猜疑心から、ウキ無しで釣り始めましたが、またもや団子が思うように握れない…。
  少しずつ慣れてきたころに、穂先が海面に突き刺さり、あわててアワセるも少しの手応えの後、ボラのウロコがハリに付いていただけでした。
  団子のままつついたボラのアタリをそのままアワセてしまったのですが、家に帰るまでそのことに気が付かず、アタリが数回あったにも関わらず、釣れないのが不思議でした。
  でも、そのことに気が付いてみると、ますます迷路に入ったようで、やっぱり無理かもと思ってしまいました。
  それは、当時の私は、団子が割れる時を穂先で判断することができなかったからです。
  
  イカダ竿のように感度のよい竿を使えばいいけれど、それだと遠投はできないし…1号の磯竿では穂先の感度がイマイチなのと、ボラが掛かった時、寄せられるか不安だし…
 
 3回目(96年9月23日)
 初釣果!
   もう一度だけやってみようと思い直し、またまた豊浜へ行きました。
   朝から雨の降る日で、嫌な天候でしたが、却ってクロダイの警戒心が薄く、それが幸いしたようです。
   堤防に着くと、先客がもう釣りを初めており(しかもウキ釣りで)、私の準備ができる頃には数枚釣っていました。その時、今日はいいかもしれないという予感がしました。

   偶然にもその日は団子のできがよく、それほど遠投はできないものの、イメージ通りに割れて、トップギリギリに沈んだウキが1分程度でス〜ウと浮いてくる感じになっていました。
   釣り始めて1時間ほど経った頃、団子が割れてウキが水面に出た瞬間に半分ほど沈むアタリが!
   すかざすアワセると、今までの釣り人生では味わったことのない重量感と、強い引き。初めてドラグの音を聞いたのもこの時です。
   結果は、ボラ(50cm)でした。隣で釣っていた人にタモ入れしてもらい、なんとか釣り上げました。
   ボラとは言え、心臓はバクバクでした。こんな大きな魚を本当に釣るなんて…
   
   その後、ボラをもう1匹追加。
   クロダイはその後でした。
   残念ながら、アタリがないので、巻き上げようとすると、手応えが??でも、さっきのボラとは全く違う…
   食っていたのは20cm少々のクロダイでした。

   その後しばらくは、アタリが続き、バラシが数回あったものの、18cm〜25cmを5枚釣りました。
   これが、紀州釣りクロダイ初釣果でした。

3 それから後   

  96年は、その後1〜2回行きましたが、団子の質が不安定で、ボーズ続きに終わりました。
  
  翌年から01年までの5年間、ひたすらこの釣りをするために知多半島の豊浜へ通いました。
  合計何枚上げたかは、忘れてしまいましたが、ボーズの時もあれば、二桁釣果の時もありました。
  ただ、サイズは小さく、30cmが最高でした。

4 紀州釣りから海上釣り堀へ

  豊浜も年々人が多くなり、当然かも知れませんが、それとともに釣れる魚の数が減っていきました。
  私が紀州釣りを初めて頃は、一度釣れたら連続して釣れたのに、アタリは散発的になり、ひどい時はアタリが全くない時も増えてきました。
  それ以上に、人が増えた弊害として、自分の釣り場所を確保することが難しくなってしまいました。

  紀州釣りはどっしりと座って釣る釣りなので、場所の確保が最重要です。実績のあるポイントに入れるか否かで、釣果の八割方は決まってしまうようなものです。
  平日の夜明け前でも、実績ポイントに入りづらくなり、また、釣果が芳しくなくなった頃、少しずつメジャーになってきた海上釣り堀に興味を持つようになりました。

  海上釣り堀

  最初は、02年3月に家族で行った三重県南勢町の「マリンパーク熊野灘」でした。
  予約したのが遅くていい場所には入れませんでしたが、散発的なアタリがあり、イサキやタイが釣れたり、適度にアジが釣れたりで、親子で8千円(大人5千円+子ども3千円)の元は取れなかったけれど、堤防で虚しくボーズか、小さな魚をちょっと釣るよりは遙かに価値ある釣りだと思いました。


   そこで、次は7月に友人3人と本格的な海上釣り堀へ行くことにしました。
   場所は三重県南勢町礫浦の「辨屋」でした。
   その時の釣果は、2002年の釣果報告にありますが、とにかく楽しい1日でした。
   それ以来、海上釣り堀にはまりこんでしまいました。

        
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