屋久島紀行 No.1

 1 名古屋から屋久島へ(05/7/29)

 2005年 7/29 我々家族3人は、中部空港(セントレア)から鹿児島経由で屋久島へと出発した。
 中部空港(セントレア)〜鹿児島は、以前にも乗ったことのあるANA B737-500、通称スーパードルフィン(エンジンにイルカの絵が描かれている)で、事前に非常口の横の席をネット予約しておいたので、前席との間が広く、比較的ゆったりと機内での時間を過ごすことができた。

    

 中部空港が混雑していたので、離陸が少し遅れたが、鹿児島空港には次の屋久島便の1時間以上前には到着。(12時頃)
ここまでは予定通りだと思いながら、次の便の手続きを済ませ待合室でくつろいでいると…
 「屋久島便は屋久島空港が天候不良のため、鹿児島空港へ引き返すことがあります。あらかじめご了承ください。」とアナウンスが聞こえてきた。

 「え!?どうするの???」
 「どうするの?って、行けなければ今夜は鹿児島に泊まるか、船で行くしかないね。」
などと、会話しつつ、取りあえず、JAC地上係員に聞いてみると、
 激しい雷雨で着陸できないらしいが、取りあえず離陸して最悪鹿児島へ戻ると言うことだった。その場合は、他の便へ振り替えるか、運賃を払い戻すと言うことだった。

 不安を抱えつつ、定刻には一応飛行機へ。今度の飛行機はボンバルディアQ400。最新鋭のプロペラ機で、ジェット機並の速度が出る。とは言え、最近この機種にトラブルが多く(エアコンから煙が出たり、ランディングギアが出なかったり)、ちょっと不安だったが…


 ハチの羽音のようなこ気味良いプロペラ音を聞きながら、ほぼ予定通りに鹿児島空港を離陸。
 アテンダントからのアナウンスは、先程と同様の案内で、最悪鹿児島空港へ引き返すと言いながらも、屋久島空港到着時刻を二十数分後ともアナウンス。
 いったいどうなることか?と思いつつ、絶えず下の景色を見ていると、一向に景色が変わらない。島へ向かっているのに、地上には大きな山や半島が…

 しばらくしてまた、アナウンスが
 「屋久島空港の天候回復を待つ間、しばらく鹿児島上空を旋回して待機します。」
 
 「え〜、早く降ろしてよ!」「天候悪いなら、最初から離陸せず待ってればいいのに…」と小声で息子と話しながらも、後席の妻を振り返ると、同様に不安な様子だった。
 旋回中も、所々に雲があって、結構揺れるので”遊覧飛行”なんて気分ではない。
 内心では、飛行機大好きの息子を責めていた。「おまえが、飛行機に乗るなんて言い出さなければ、こんな恐怖の体験しなくても済んだのに…、船で行く方法だってあったのに…」、
 でも今となってはもう遅い… 地上に無事降り立ち、次の機会があったら必ず船で来ようと思っていた。
      

 何回同じ辺りを旋回したか解らないが、30分以上経った頃、
 「ポン」と電子音がして(通常シートベルトのサインと同時になる警告音)、一番前に後ろ向きに座っているFA(フライトアテンダント)さんが、インターフォンでコックピットと連絡を取った。
 一度ではなく、2〜3回連絡を取り合っていた。

 連絡を取り合った後、すぐに何らかの案内があるのか?と思いきや、なかなか機内案内がない。
 「きっと、鹿児島へ引き返すって言うんだよ!」と息子と会話しながら、内心では、「どこへ着陸しようと、とにかくこの状態からはやく抜け出たい。地面に降り立ちたい!」と思っていた。

 しばらくして、FAさんから、次のような機内案内があった。
 「比較的雲の薄い、種子島方向から屋久島空港への着陸を試みます」

 「え!?大丈夫??」とは思いつつも、やっと旋回状態から解放された。

 しかし、高度を下げる始めると、厚い雲の中へ。それとともに激しい揺れ。揺れ。また揺れ。
 手に冷や汗をかきながら、とにかく耐えていると、少し雲が薄くなったのと同時に、真下に海が近くに見えてきた。そして、ランディングギアが出て、いよいよ着陸らしいが、右側の座席の我々には海しか見えない。
 いったい空港はどこに?
 と思いつつ、手が届くくらいに海面が近くなった頃、やっと空港の端が見え、無事ランディング。
思わず拍手をしてしまったが、機内のあちこちでも同様に拍手が聞こえた。 ほっとした瞬間であった。

 国際線でジャンボ機を操縦しているパイロットもすごいのだろうが、こうした離島周りのパイロットも相当の技量と判断力が要求されるのだろう、と思った。

 それとともに、屋久島では台風時以外にも、こういった状況はままあるみたいで、島なのに九州最高峰、宮之浦岳のある特殊な地形の故なのだと知った。

 屋久島空港。飛行機から降りた後は、各自が歩いてターミナルへ移動する。
預けた荷物は、ベルトコンベアーではなく手渡しで返却される