屋久島紀行 No.7
7 名古屋への帰路(05/8/3)
8/3 最終日
8/3いよいよ屋久島最終日。
今日も、天気はまずまず。いよいよ名古屋へ帰らなければならないが、数日前に発生した台風は沖縄の先島諸島に影響があるくらいで、ここ屋久島には何の影響もない。
雷雨もなさそうで、飛行機も予定通り飛びそうである。

最後にもう一つだけ、この旅の目的が待っていた。それは、国産旅客機YS−11に乗ることだ。
そもそも、このことは息子の「おかず」が言い出したことなのだが、彼によると今年度でYS−11は日本の定期旅客輸送から姿を消すそうで、是非乗りたいという希望があり、今回はその希望を叶える旅でもあったのだった。
「おかず」はネットで事前に、8月にはYS−11が屋久島便に使用されることを調べていて、だから今回の帰路の飛行機も、鹿児島での乗り継ぎがよくないにも関わらず13:15発を予約したのだった。(鹿児島〜中部空港は17:45発で、鹿児島空港で4時間近く待ち時間がある)
とはいえ、YS−11と言えば、昭和40年代に登場した飛行機であり、HP管理者160は学生時代に初めて伊丹から奄美まで乗った飛行機(当時はTDA=東亜国内航空)でもあるのだが、私が乗ったのでさえもう二十五年以上も前の事であり、いまだに現役で飛んでいることが信じられなかったので気が進まなかった。
しかし、息子は「ボンバルディアQ400に比べれば大丈夫だよ。最近ボンバルディアはトラブル続きだし…」と全く気にしていない様子。仕方なく、それに付き合う事になった。
8/3当日は晴れ。昼前に少し雨がパラついたが、空港付近に雲はなく、鹿児島からの到着便は、予定通り12:50に屋久島空港に到着した。
定刻通りに到着したYS−11
時代を感じさせるライトと送風口
座席は1番ABだったので、コックピットのドアが見える。 
鹿児島に無事到着。
待合室から歩いて飛行機まで移動する。
やや空席のある機内に乗り込むと、間もなく離陸。(他の便は満席なのに、この便に空席があるのは、やはり皆古い機種に不安を感じているのだろうか?)
普段のジェット機より当然速度は遅く、のんびりだなと思いつつも、安定した飛行で不快感は全くない。敢えて言えば、プロペラ機はエンジン音とプロペラの音が気になることか。
でも、これはボンバルディアQ400でも同じことだ。
40分程の空の旅は楽しく終わった。飛行高度が低いだけに地上の景色もよく見え、たまにはこんな機種に乗るのも悪くないと思えた。
こうして、今回の屋久島旅行の最後の目的は達成されて、無事名古屋に帰ってきた。
後日、JAC(ジャパンエアコミューター)のHPで確認してみると、JACはYS-11を現在6機所有
そのうち我々の乗ったYS-11は
・国籍・登録記号「JA8768」
・愛称「りくちゅう」
・製造「’70/8/25」
・JACへの引き渡し「’94/9/29」 だった。
製造されてから、今年で35年になる。
ちゃんと整備すれば、まだまだ飛べるのだと、見直した。